もう、どうでもいい。
なんだっていい。
そういう言葉を吐き捨てるときに限って、
心の中では、本当はどうでもよくないことが多い。
投げ出せないのをわかっているからこそ、
自身への納得感と安堵感を得るために、
言ってみたりする。
「もういいや」
「どうでもいいや」
だけど、本当はどうでもよくなくて、
気になって、気になって、しかたなくって。
投げ出したものをまた拾っては、
うじうじ悩み、執着する。
効かない自己暗示。
嫌なことから逃げ出そうとする姿勢を
「弱い」とか「逃げるな」とか言う人もいるけれど、
私は何も悪いことじゃないと思う。
むしろ逃げれるものなら、逃げればいい。
でも、実際は、逃げても逃げても
逃げ場なんてないから、人はまた悩みなり葛藤なり、
それぞれが抱えるモノと向き合う、いや、向き合わされることになる。
放り出して、忘れられるものだったら、
「もういいや」
「どうでもいいや」
と吐き出す前に、もう開放されているはずだ。
たまぁに、喧嘩をしていると、
もう、どうだっていいんだよ。
という言葉を呆れた声で浴びせられる。
こっちだって、どうだっていいよと投げやりになりそうになる。
でも、そんな時は、なんでこゆうことを言ってしまうのか、
自分の深層心理を探って、ぐっとこらえる。
どうでもいい。
その言葉が示唆するもの。
それは、正反対の気持ちであり、
執拗な程の執着の固まりであったりする。
人間は矛盾だらけの、湾曲した生き物だ。
はぁ、愚かな程に愚直な人になってみたい。
そしたら、ものごとはいくぶんかシンプルになりそうだ。